Sunny Shiny Morning2

09/06/08up

 

 だが、ライルの読みは外れた。
 夜に何度電話を入れても繋がらないのだ。
 流れてくるのは在り来たりな留守番電話の応答音声。そして決まって次の日の朝、「昨夜はすみませんでした」とのメールが入る。
 いっその事、メールでのやり取りに変えた方がいいのかとも思ったが、ライルは文面上でのやり取りよりも、生の声でのやり取りの方が効果があると考えていた。
 初顔合わせの一週間後の夜、いつも夜10時にかけていた電話を夜9時半に早めてソランに入れたが、やはり留守番電話になっていた。だが、10分後には折り返しかけて来てもらえた。喜び勇んで話そうとすると、しかしその電話は3分で切られた。
『9時にはもう寝てるので』
 今時、小学生でもそんな時間に寝るヤツはいないとライルは思ったが、声は本当に寝起きのように掠れていたので、素直に謝って通話を切った。
 そしてその次の日は、もう少し早い時間の8時半に電話を入れた。だが、それも留守電になった。折り返しかけてこられたのはまたもや10分後。
 なんだか嫌な予感がするとは思ったが、まさか想像通りだとは流石のライルも思わなかった。
『8時半はお風呂の時間なんです』
 あまりに規則正しい、子供のような生活サイクルに、思わず自分は避けられているのではと勘ぐらずにはいられなかった。
『あの…緊急の御用でしょうか』
 極めつけのような他人行儀な言葉に凹みそうなライルだったが、それでもソランは諦められない。彼女の人となりをもっと知りたいと思うと共に、彼女にも自分を知って欲しいのだ。もしかしたら外見は彼女の好みでは無いのかもしれないが、中身を知ってもらえれば希望が見出せるかもしれない。
「緊急では無いんですけど…あの、何時頃ならご都合が合いますか?」
 これはもう、単刀直入に都合を聞かなければ、これから先の彼女との会話は無理だと判断して、踏み入った事だとは思ったが素直に問いかけた。
『そうですね…夜はちょっと都合が悪いので、終業時間あたりなら少しなら時間は取れますが』
 以外と素直に連絡が出来る時間を教えてくれたソランに、ライルは天にも昇る気持ちになり、翌日の5時半頃連絡させてもらうと伝えて通話を切った。
(これで少しはまともに会話が出来る!)
 一人の部屋の中で、周りを気にする事も無く再びガッツポーズを取った。

 そして、次の日。
 ソランに言った通りに5時半に連絡をした。ただ、この時はまだライルは残業中だったのだが、定時後に30分くらいの休憩を貰ってもいいだろうとの勝手な考えで、喫煙室で意気揚々とここ一週間で慣れた番号にダイヤルした。
 果たして、ソランは直ぐに電話に出た。
「なんか、昨日まではすまなかった」
 取りあえず、第一声でこれまでの非礼を詫びる。
『いえ、こちらもきちんと伝えてなかったのがいけなかったんです。返ってお気を使わせてしまってすみません』
 声は硬質だったが、それでもこれまでのライルの行動を非難する物ではなかったソランの返答に、ライルはほっと胸を撫で下ろした。
「それで早速なんですが、明日、よかったら食事にでもいきませんか?いいアイルランド料理の店を知ってるんです」
 次に会える約束を取り付けようとしたライルに、ソランは素っ気ない返事を返した。
『夕方から会議が入ってるんで無理です』
「あ…そうなんですか。なら明後日とかは?」
『明後日から、3日間宇宙に上がるので…』
 基本的に地上で会社間の営業をしているライルと違い、ソランは宇宙で使う物の開発をしているのだ。話によると、かなり出張がある職場らしかった。
 これはかなり落とすのが大変だと、ライルは頭を悩ませる。
「忙しいんですね…。何時頃になったら時間、空きそうですか?」
『来週までは共同開発が入っているので、再来週くらいならまたこの時間には時間はあると思います』
 『この時間』という事は、電話以外は無理という事なのか?
 ライルは会いたい気持ちをため息に押し込んで、「また再来週に連絡させてもらいます」と一言言って通話を切った。
 折りたたみ式の携帯電話をぱちんと閉じた後、胸の内ポケットに入れている煙草を一本取り出して、ため息をごまかすように火をつける。
 紫煙の向こうに、ソランの姿を思い浮かべた。
 一度会っただけだというのに、はっきりとその容貌を思い浮かべる事が出来る。
 短い癖のある黒髪。
 前髪に隠れそうな、それでも存在感を無くさない苛烈な赤い瞳。
 化粧は薄そうなのに、艶やかな肌。
 細いウェストに、なだらかな曲線を描くボディライン。
 少しハスキーな落ち着いた声。
 そして、張り付いているとありありと分るのに、綺麗な笑顔。
 思い出しただけで胸が高鳴る。
(あーもう、今更思春期かよ)
 今までの遣り取りから考えれば、確実にライルにはソランは靡かないだろう。それでも高鳴る胸の鼓動が、ライルには不思議だった。
 恋とはこういう物か。
 慣れない感情に苛立を覚えて一口大きく煙を吸い込むと、社内の数少ない喫煙仲間の同僚が誰もいなかった喫煙所に顔をのぞかせた。
「お、ライル、今日は中で残業か」
「うんまあ、珍しくね」
「中残業はいいよなー。こうやって煙草吸えるし」
 接待での残業では、殆どの飲食店が禁煙のこの時代、吸いたくなっても中々思う様には一服休憩など取る事は出来ない。
「携帯、誰かと電話してたのか?」
 ライルの手の中にある携帯電話に視線を落として、興味深げに聞いてくる。
「ん、まあ、ジェリコの壁とね」
 会話の内容を思い出してしまい、崩れる事が無いと称される壁に例えて戯けてみせた。
「なんだ?女?」
「そ。そらもう、身持ちの固そうなね」
「へー、珍しいな。合コンすら面倒くさがるお前が」
 社内恋愛はこじれると後が面倒くさいと思っていたライルは、社内から声をかけられる合コンには一切顔を出した事が無かった。一度学生時代に同じ学内の女性と付き合った時、痛い思いをしていた教訓からだった。
「合コンが面倒くさいだけだよ。基本的には女好きだからな」
「なんだ。てっきりお前、ホモかと思ってたよ」
「ばーか」
 軽い会話に、少し気がまぎれてくる。
 ここの所毎日ソランの事を考えていて、正直仕事にも身が入らないほどだった。
 ソランの事を頭から振り払おうとしても、ふとした拍子に思い耽ってしまっていたのだ。
「で、相手は?」
 社内で浮き名を流さないライルの思い人に、同僚は興味津々と言った風情で問いかける。
 別に隠さなくてもいいかと、ライルは煙とともに消えてしまうほど軽く名前を出した。
「今回の商談相手のコロニー公社の技術者で、すっごい美人がいてさ」
「へー」
「名前はソラン・イブラヒムって言うんだ」
 ライルの口から漏れた名前に、同僚は目を丸くした。
「それって、あの才女の事か!?」
「は?」
 彼の言う『あの』とは、一体なんなのだろうか。
 だが彼の言う『才女』という言葉は、とても似合うとは思った。
 あの落ち着いた物腰と、キレのある会話。人を惹き付けずにはいられないのだろうとは軽く想像がつく。
「お前、知らないのか?その人、俺が聞いた事のある人と同じなら、去年、19歳で光粒子理論の論文発表して、オックスフォードの教授に招かれた人だぞ?」
「教授!?」
 想像以上のソランの頭脳に、ライルは素っ頓狂な声を上げた。
「そ。でも、何でも現場で働きたいって言ってその話蹴って、あの会社に入ったって話しだぜ」
 それほどの知識と熱意であの仕事をしているのであれば、男など鬱陶しいと思っているのだろうか。それに、去年19歳という事は、今はまだ20歳という事ではないか。8歳も歳の離れた、30に程近いライルに興味を抱かないのも当然かもしれない。
「お前、才女好きだったのか」
 同僚があきれた顔でライルを眺める。
「いや、才女は好きだけど、どっちかって言うと面食いなんだと思うけどな」
「頭も良くて見かけもいいのか…天は二物を与えたもうたか」
 それにしても、と、ライルは思い出した。
「光粒子理論って、俺の兄さんも研究してたな」
 神童と呼ばれていた今は会えない兄を思い出した。
 同じ顔、同じ声で、全く中身の違った兄。
 ライルが普通にジュニアハイで学生生活を送っていた時、兄のニールは既にスキップで単位を取り終えて大学生だった。
 その上、父が趣味だったライフル競技が高じて、ニールは世界でも名を馳せるライフルの名人になっていた。
 ライルも同じくライフル競技はやっていたが、何時しか兄と比べられるのが嫌になって、競技会には顔を出さなくなったのだ。
 もう行方不明になって既に10年以上経つ。
「へー、お前、兄貴いたんだ」
 子供の頃、両親と妹を事件で亡くし、兄も行方不明になって久しい最近では、ライルの口から家族の話題が出る事は殆どなかったので、初めて聞く話しに同僚は二本目の煙草に火をつけながら相槌を打つ。
「兄貴って言っても双子だけどな」
「お前、双子なんだ」
「そ。色男倍増で、世の中の女性に貢献してるだろ?」
「でも、その極端な女の趣味を行使してるんだから意味なくないか?双子なら趣味も似てるんじゃないのか?」
「どうだろうな。昔は兄さんは年上が好みってだけで、あんまり頭とか顔には拘らなかったような気がするけど」
「お前より、人間出来てそうじゃん」
 誰にでも優しくて、人気のあった兄。
 一緒にいた頃はいつでも兄の引き立て役だった様に感じて、劣等感を持って過ごしていた。
 それも今ではライルにはいい思い出だった。
「んじゃ、人間出来てない俺は、仕事くらいは真面目にしてくるよ」
 同僚に軽口をたたいて、ライルは喫煙所を後にした。





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